環境を変えようと思うも惨敗◆小学校、特支、海外、育休、閉ざされる道【キャリア迷走ストーリー②】

◆◆マリエのキャリア迷走ストーリー◆◆

 全10編! これまでのお話はこちら。

①ストレスの限界◆先生なのに不登校!?見えない未来…




そりゃぁ私だって
何もせずに泣いていたわけじゃありません!

この環境さえ変われば、
なにか道が開けるかもしれないと思ったんですね。


まずは、次回赴任希望を
小学校で2つ記入。

英語教育が始まるから、英語科の教員は重宝されるし、今探してるからね。と後押しされて

その心積もりでいたけれど、


むしろ、特別支援学校という選択肢も自分の研修に大いにプラスになると思って、

特支で働く同期や先輩からいろいろ働き方についてリサーチしてた。

希望欄に、
特別支援学校の名前も書いた。



けど。

フタを開けたら。

赴任先は、
がっつり中学校でした。


いやいやいやいやいやいや


と二度見


動揺。



同じ生活つづくーーーーーーーーーーーーーー。

というショック。



まぁその次の学校で、本当に素敵なたくさんの出会いがあったから
今となれば、それはそれで
良かったんだけれど。


赴任した先でもったのが1年生。

3年生になって卒業させるまでは、
もう、気持ちを入れ替えて
がんばった。


この3年間が、やっぱり1番充実していた。


だって、3年間、
人の成長に関わっていくんだもん。
思い入れも、関わりも、関係性も
深くなっていきますよね。

入学から卒業まで伴走できるのが
中学校の醍醐味!

3年間もたせてもらえるのも、
本当にありがたいこと。


中学の先生なら、お分かりいただけるかと。



本当に良い3年間だった。




だかしかし!!!!

わたしの野望の灯火は消えていない!!


わたし、実は
「もしも世界が100人の村だったら」
にすごく衝撃を受けた人で


そこから、
ずっと
途上国のボランティアに使命を感じていたんです。


よく道徳や英語の授業でも
使っていた教材。

それで私、3年もった子達の
卒業と一緒に、私もこの学校を旅立つ!


そう決めて


「青年海外協力隊」に志願したんです。

資料を取り寄せて、HPで調べ、
協力隊のOG・OBセミナーへ出向き、

直接質問したり、

もう、本当に気持ちは海外に向かっていました。


買った新車も手放すことになるなぁ
だって派遣3年間だもんね。

むしろ3年遠距離とか無理だし
彼氏いなくて良かったわ笑 ってね。


父親の反対も押して、


でもそれでもやっぱり挑戦したくて

わたしは、
この3年で
人生大きくまた変わるなと。




当時のクラスの子達の受験期と重なっていたから、
私も同じく受験生だ!みんなで一緒にがんばろう!

と思っていた。


卒業の時に、カミングアウトして
一緒にこの学校を卒業します!と

言うプラン。



1次合格発表の日。


スマホで、HPの合格番号を探す

ない。

こんなに強い気持ちで、意思を持って志願している私が「落ちる」なんてありえないと思った。

人生で、何かに不合格したことがなかった私の←

目の前が真っ暗に、

いや、

真っ白になった瞬間だった。



道が、

なくなった感覚だった。



いつも泣く私が(←おい)

涙が出なかったほどに。




落胆する私に、当時の校長先生が
「チャンス」を届けてくれたのは年度内だった。


がっつり一般枠じゃなく、

学校推薦の、可能性の高い枠を(たぶん)
用意してくださった。


もう一度の挑戦。



今度こそ、今度こそ、今度こそ、


力が入った。



1次を通過し、東京へ。

2次試験。



緊張した。


今でも忘れない、圧迫面接だった。

答えられない質問が次々に自分を襲い、
不甲斐なく、


こんな自分には、この大役は務まらないと



面接中に動揺をおさえられなかったことが
情けない姿として


今も脳裏に焼き付いてる..




あのとき窓から見えた外一面の雪。



また、私は不合格通知を受け取ることになる。


ただ、それが落ちた理由かはわからない

というのも、1年目の入院の
病歴を、

どうしても履歴書から消すことができなかったのを
突っ込まれたから。


発展途上国に行くのに、健康な体は必須。

私のその病歴は、
完治しないとされる特定疾患で


「今めっちゃ元気です!!!!!!」

と言葉でアピールしたけど

内科医の診断書の方が影響力100倍あったぽいな。


つまり、今後応募しても、
同じ理由で落ちることは、…ないと言えません。

みたいな含みで、
私の挑戦は閉ざされたのだった。


1年目の自分の体調不良 悔やむ!!!!!



そして、子供たちに報告したのは
彼らの卒業式直前の頃。


わたしは、クラスを集めて、


「夢」をテーマに授業をした。


「世界が100人の村だったら」
の映像を見せて、

世界中の厳しい環境にある子供達が画面で語る
「夢」を取り上げて考えていった。



最後に

私自身の夢、教育で世界に貢献したいという思い
挑戦したいという思い、

大人になっても、やりたいことってある

それを語ったんです。



「でもね、先生の挑戦は叶いませんでした。
実は、みんなと一緒に、私も試験に臨んでいたんだよね。

でもね、落ちちゃったんです笑 

このクラスで唯一、不合格者になったのは先生だったというオチ笑」


そしたらね、一緒に泣いてくれた生徒がいたんです。


先生〜!!って寄ってきて。
なんて心のある子だろうって

感動したのを今も、覚えてる。


思春期のツンデレが、めちゃめちゃかわいいんだ。


結果はどうあれ、
挑戦していくことへの背中が見せれたなら、
良かったと、思ったのです。




でもね、でもね、そうはいっても!!!!!

わたしのもともとの思いは!

現状を変えたかった!!!!!!!

そこなんですよ!!!!


… だから思った。
(もう間違った匂いしかしないけど)



これもう結婚するしか道ないわって。

そしてヤケになり(?)

わたしは、
結婚相談所へ入会したのでした。

思い切るね〜自分。
結婚したら なんとかなると思ってた。

20代の今、入会しとけ!!!!

と。


10万以上かかったもんな〜

こんなんしてプロフィール写真とか撮った。

でも、なんか、
すごい悔しかった。


なんで私普通に結婚できないの。って
なんでみんな周りは結婚できるのに
私はお金かけないといけないのって。


そんな、価値ないのって。

(ここら辺の考え方が間違ってたんだよな〜。。)



でも頑張った!!!!!やるからには!!!!!


そこから精力的に活動し

一気に行動し


一気に疲弊!!!!!


1、2回会って、
結婚決めるって、わたしには結構
至難の技だった。


その頃は、なんで結婚したいのかとか
本当に結婚したいのかとか

何も考えてなかった。



結婚したらなんとかなるって、



本当に思ってたのが怖い。



何人も会って
全然未来のイメージわかなくて
いつも作り物の自分で

いつも初対面で

疲れた。



部活・婚活・学校・部活・婚活・学校

この頃本当に本当に
出会いの数を増やしまくったから


それだけダメージも積み重なった。


迷走迷走迷走



毎月かかる継続会員費。

どんどん送られてくる

結婚式の招待状。



あああああああああああああああああああああ

ってなった。

なるよね笑



そして私はいろんな可能性を閉ざされ
来年もまた、変化なく

「中学校の教員」を

継続するレールに乗った。



はたから見たら、なんの変化もない
来年度だった。


③天職探しの道◆起業という選択肢が自分の人生に降り立った

へつづくグラサンハート


小泉マリエと直接話をしてみたいなという方は、こちらへ。 

プロフィール
この記事を書いた人
小泉マリエ

学校で働く先生をしあわせにしたい。
時間も、お金も、時間の余裕も。
こころ穏やかに、心地よく働ける女性を増やすために役立つ情報を提供していきます。

小泉マリエ インスタ本気でやってます!フォローすると先生の人生がhappyになる♪
先生のキャリア迷走ドタバタ奮闘記
これ、友達にもシェアしよう〜!
小泉マリエ インスタ本気でやってます!フォローすると先生の人生がhappyになる♪
いつもがんばってる先生に贈るブログ

コメント

タイトルとURLをコピーしました